聴神経腫瘍にかかわらず病気になってしまった方のご家族や友人は患者にどう対応していいか分からないと思います。
特に私のような年代では周りに病気の人などいないし手探り状態だと思います。
ここでは私の体験をもとに私が21歳で聴神経腫瘍という病気になってしまってどんな心理だったのかお伝えします。
人それぞれ感じることは違うと思いますが、“患者への接し方”として参考になればと思っております。

【病気になった時】
病気が発覚した時ですが、体験記にも書きましたが目の前が真っ白という感じでした。「良性の腫瘍ですよ」と言う先生の言葉も理解が出来なくて、ただ脳と言うことだけで『え?私はもうだめなの?脳ってやばくない??』と言う感じでした。
先生からは話は大まかに聞いたとはいえどんな病気なのかも詳しく分からないので不安ばかりか募っていきました。『何で?何で?私だけがこんなのになるの??何がいけなかったの?』と悲観ばかりしていました。
そんな時「何でって言ったてなってしまったものは仕方が無い,それより治す事を考えなくちゃ」と言ってくれた人がいました。
その時に『はっ』としました。
『何でって言ったて理由はないしそれより現実を受け止めなくてはいけないんだ』と気づきました。

それからは分からないなら本屋に行ってこの病気について調べようと思い、何件も本屋に行ったり都内まで行って大きい本屋を探したりしました。『治さなきゃ』と思うようになっていました。

病院に何度か通って徐々にこの病気について分かって来るうちに、
『聴神経なので耳か・・・でも片耳ならいいか。ん?顔面麻痺ってなに?それって嫌じゃん・・・私はまだ結婚もしていないのに、それに仕事だって楽しいし・・・もし顔面麻痺になったらすべてを諦めなくちゃいけないの?』なんて考えるようになってきました。
恐くて仕方なかったです。
今、健康な自分の顔を見るのも辛くなっていました。
昼間は仕事で忙しかったり友達と騒いだりしているのでまだいいのですが、夜に一人でベットに入るといやなことばかり考えてしまいます。
こういう時は母でも彼氏でも旦那でも隣にいてくれるだけで安心すると思います。一人になるのが恐かったのかもしれません・・・


【手術まで・・・】
こんな神経質になっている人に対しては励ますのも言葉を選ばなくてはいけないのかもしれません。
私の友人が病気になってしまって(聴神経腫瘍ではありませんが)みんなで術前にお見舞いに行ったことがありました。その時、友人の一人が病気の友人に「がんばれよ」と言いました。
でもその人は「がんばる」と言いましたがその後ぼそっと「がんばれって言われたらがんばるって言うしかないよね」と言っていました。卑屈な言葉にも聞こえますが、私はこの友人の気持ちが分かるような気がしました。
何人の人に
がんばれと同じことを言われても自分ではどうする事も出来ないしがんばりようがないのです。
結局、病気の人は何も見えない真っ暗闇の中を歩いている状態なので、がんばれと言われても何も出来ないもどかしさばかりなのです。
逆に何をがんばればいいの?と聞きたくなってしまいます。

まぁ私はほどほどに言われるならいいと思いますが・・・

私はみんなが心配しないように先生から聞いた分かる範囲の事を説明しました。友人や家族が心配しないように全員に「良性の腫瘍だし大丈夫。私は今は元気だから大丈夫」と説明をしてまわりました。
でも本当は自分がが大丈夫って言ってもらいたいのです。
そんな時、「陽ちゃんはいい子だから大丈夫だよ!まぁ根拠は無いけどね」と言ってくれた人がいました。『あ、私はこんな風に言ってもらいたかったんだ』と思いました。本当に嬉しかったです。
この言葉は先生でもなく、他人でもなく友人、家族、私の事を良く知っている人から言われたから重みがあったのだと思います。
例えば知識のある医者から言われたのでは無責任と思うかもしれないし、他人から言われたのでは私の何を知ってるの?と思うかもしれません。
ただ何回も大丈夫を連呼してしまうテキトーに聞こえてしまうので注意です。

毎日の日々はあっという間でしたが気を紛らわせるために、いろいろな事をしていつもより忙しくしていました。
飲み会やカラオケ、旅行などです。幸い私は仕事をやめていることもあってたくさんの友達が私を誘い出してくれて家で一人でふさぎ込んでると言う事はありませんでした。

手術の時に一番心細いのは手術の前日だと私は思います。
姉や父、彼なども来てくれました。この時は家族以外の人が来てくれても嬉しかったと思います。体は元気なのに気持ちは重いので誰かと話すだけでだいぶ気が紛れます。
この時は「とりあえず坊主じゃなくて良かったじゃん」なんて冗談を言い合っていました。

手術当日はここまで来るとまな板の上の鯉ですが、1人かなっと思ったら家族のみんなが来てくれたので嬉しかったです。


【術後】
一般病棟に入った時は私はだいぶ体調が悪かったのでお見舞いはすべて断っていました。
・来てくれても対応が出来ない。
・思った以上に体力が落ちていて疲れてしまう。
・気を使ってしまう。
結局、本当になにかを頼めるのは家族だけなのだと思います。家族のお見舞いはこんな遠くまで来てもらって申し訳ない気持ちになりましたが毎日でも嬉しかったです。
親友や彼氏もたくさん来てくれても嬉しいと思います。ただやっぱり長居されると疲れてしまうかもしれません。そして時間帯なのですが病院では朝6時には起きて夜は8時前に寝てしまうといった生活なので遅い時間に来られるのも少し迷惑です。来てもらってこんな事を言うのは失礼ですが、思った以上に疲れてしまうのです。
期本的にお見舞いは嬉しいものです。隣のベットの人がお見舞いが多いととてもうらやましく思います。それに何の変化も無い病院で三食の食事だけが唯一の変化と言うレベルの生活の中でおも舞はすごく気晴らしになります。

私は手術は合併症も出なくて成功しましたが術後は体調が悪く、悲観していました。でも「あとは治るだけなんだから、がんばって」と言ってくれた人がいました。手術前とは違って前向きな“がんばって”なのでとても気持ちがいいものです。とても励まされました。
術後に少し動けるようになってこっそり携帯電話のメールを見てみると私が手術中の時間帯にに励ましのメールが入っているのも嬉しいものです。『私ががんばっている時に応援しててくれたんだ』とみんなの愛を感じました。まあ私は全身麻酔で寝てただけですが・・・


【病気だと知られたくない理由】
私がこの病気で手術もしたことがある事(手術を受けなくてはいけないこと)を知っている人は、友達でも上司でも先輩でもごくわずかです。
本当に信頼する人にしか言っていません。

なぜかと言うと、何回も病気の事を発したく無いからです(このホームページをつくったのもその為です)
そして、今元気だからです。
病人として気を使ってほしくないし、かわいそうだとも思われたくも無い。本当に普通の健常者として見られたいからです。
特別扱いはいい意味でも悪い意味でも辛いです。(もちろん全員ではありませんが経験からです)
あと、私が一番辛かったのは噂です。直接話した人はまだいいのですが、又聞きで聞いた人からの心無い言葉です。。。捉え方の温度差があると思います。
そのせいで私は長いこと誰にも相談できませんでした。

気を使わせたり、自粛モードになってしまったり。

自分の病気は自分が一番調べて、無理はしないようにしています。
私は病気になってこんな辛い思いは誰にもさせたくないと思っているし、私が手術になったからって家族・友達の幸せを願わない事はありません。

だから私は普通の人に負けないくらい、仕事も遊びもプライベートも努力してきました。
何回も健康な人なら出来たのになと思ったこともあります。


私がこの病気と知った皆様、心配してくれて感謝しています。
そしてどうか誤解をしないでください。
脳腫瘍って一見、やばそうな感じですが・・・

今まで通り、普通の人として接してください。