一般病棟へ
ここからが本当の戦いという感じでした。もともと胃が強くは無かった私はストレスか毎日飲む薬のせいか胃がムカムカして気持ちが悪くてご飯はほとんど食べられない状態でした。点滴はするものの血管痛がひどく必要量は落とせませんでした。また血管から点滴が漏れてしまって何度も刺し直しをするので手はあざだらけで刺すところがなくなってしまうほどでした。
頭の方は傷口が痛くて出された痛み止めも足らずに追加でもらっていました。
でも出せる痛み止めの量は限度があるらしく、あとは我慢するしかありませんでした。
辛いから寝てしまえと思い薬を飲んで寝るのですが切れたら痛くて目を覚ます。寝ている間も悪夢にうなされる。
その後は薬に時間が来るまでひたすら我慢・・・という毎日が二週間も続きました。
このときは一人ではトイレも行けませんでした。
5月26日頃〜顔面麻痺はあからさまには出ませんでしたが、口をゆすごうとすると横からはみ出てしまう程度の麻痺が出ました。今思えばやる必要も無かったと思いますが私が気にしていたので顔に微量の電気を流して動きを良くする?のをリハビリとしてやってくれました。
聴力は少し落ちた程度で済みました。でも耳鳴りが気になって先生が回診に来るたびに耳鳴りがするとしつこく言っていたので先生も困っていたと思います。
数日経ってお風呂に入れる許可が出ました。
一番初めは一人ではいるのは自信が無かったので看護婦さんに入れてもらいました。案の定ふらふらでされるがままでした。その後一週間に一回だけお風呂の日がありましたが、お風呂に入るたびに自分の状態が良くなっていることが実感できて楽しみになっていました。
ある日、お姉ちゃんがお見舞いに来た時に退院はいつになるんだろうねという話になりました。私は自分の状態は分からないけどこんな自分では一般の生活がまだ出来ないから退院の話がでないのかと思っていました。この話の2、3日後思い切って先生に「私の退院はいつですか?」と聞いたら嬉しそうな顔をしていました。その次の日に家族が呼ばれ、退院が決まりました。
私の自信が付くまで待っていてくれたのかなと思いました。
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聴神経腫瘍 一般病棟へ